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比電視劇精彩N倍?日本現實版《黑色皮革手冊》的成長史




武井咲演じる原口元子が、親の殘した借金返済のために銀座のホステスとしてのし上がってゆくドラマ『黒革の手帖』(テレビ朝日系)。


朝日電視台的電視劇《黑色皮革手冊》中,描繪了武井咲飾演的原口元子,為了償還父母留下的債,在銀座當陪酒女並不斷向上爬的故事。







派遣先の銀行から橫領した1億8,000萬円をもとに、銀座にクラブ「カルネ」をオープンした元子は、銀座のクラブの最高峰である『ルダン』を手に入れようとする。


元子用在銀行做合同工時巧取豪奪的1億8000萬日元,在銀座開了一家名為「卡露內」的夜總會,甚至還想要奪取銀座最著名的俱樂部「露丹」。



実際に、ドラマのように貧しかった家庭から、トップホステスにのし上がった女性がいる。木村亜美さん(35歳)だ。


事實上,如劇中那樣,出身於貧窮家庭,爬上頂尖陪酒女位置的女性真的存在,那就是木村亞美(35歲)。




現在は水商売をはじめとするサービス業専門のフリーコンサルタントとして活躍する彼女だが、以前は北海道で月間最高300本の指名本數を取るナンバー1ホステスだった。


如今在陪酒業之外,還作為服務業專職顧問活躍的她,以前在北海道曾是月度最高獲得300次指名數的NO.1陪酒女。



亜美さんが水商売の世界に飛び込んだのは、幼い頃から見てきた家庭の事情にあったと話す。


亞美表示自己會進入風俗行業,也是因為從小受到家庭狀況的影響。







■市営住宅の風呂なし2LDKに家族5人暮らし


■全家5人住在沒有浴室、只有兩個房間的市營住宅




「父は建築業を営んでいましたが、消費稅の引き上げ以降、仕事が激減しました。函館の市営住宅の2LDKに家族5人暮らしでした。ボロボロの住宅にお風呂はなく、冬は母が石油代を節約していたため、家の中に入る隙間風で、吐く息が白いほど寒かったです。幼い頃、體が強くなかった私は、何度も風邪や肺炎にかかっていました」


「爸爸本來是從事建築業的,然而由於消費稅提高,工作驟然減少。全家5人只能生活在只有兩個房間的函館市營住宅里。破破爛爛的房子里,連洗澡的地方都沒有。冬天,媽媽為了節約燃氣費不開暖氣,家裡寒風瑟瑟,哈出氣都是白的。小時候身體不太好的我,多次患上感冒和肺炎。」



初めて働いたのは、18歳の時にスカウトされた函館の高級クラブだった。


我的第一份工作是在函館的高級俱樂部,是在18歲的時候被人挖掘的。




「函館の歓楽街の規模は小さいですが、3店あるクラブは全國の富裕層のお客様には有名でした。中でも私がスカウトされたクラブは、VIPな方や著名人もたくさん來店されてたんです。ホステスにも入店條件があり、店が決めた基準體重であること、身長160cm以上、黒髪、上品さがあることなどの、條件を満たしている人しか入店できません。そこに在籍していたと言うだけで、他店でも優遇されるほどでした」
両親のために、亜美さんは水商売で成り上がろうと決めた。だが、初めの時給は驚くものだったそう。


「函館的風俗街規模雖然比較小,但有3傢俱樂部是在全國有錢客人中都出名的。而其中把我找去的那傢俱樂部,便是一家有許多VIP和名人常去的店。陪酒女也是有入職條件的,比如需要達到店裡規定的體重,身高160cm以上,黑頭髮、氣質過關等,不滿足條件的人不能入職。只要在這家店工作過,在其他店裡還能受到優待。」為了父母,亞美決定在風俗業闖出自己的一片天。然而,當她第一次拿到時薪工資卻嚇了一跳。



「時給は1,300円。理由は、未経験の三流ホステスだからです。入店すると、まず1週間の研修があり、ホステスとしての立ち振る舞いを徹底的に叩き込まれます。


「時薪只有1300日元,因為我只是個沒有經驗的三流陪酒女。入職後,首先得經過一周的實習,從頭學習作為陪酒女的舉止行為。




頭上に數冊の本を乗せて落とさないように歩く練習や、手の位置を覚えさせられました。後ろ姿から指先まで、常に美しくいるためです。


練習頭上頂著好幾本書走路而不掉落,要記住手該怎麼放,從背影到手指,都得始終保持完美。



次に教わったのは店のマニュアルで、內容は非公開なので詳しくは言えませんが、分厚いマニュアル本を何度も読まされました。こうした研修を終えて、入店から1週間後に初めて客席に著くことができます。


接著要學店內守則,雖然這個內容不能公開,我無法詳細說明,不過厚厚的守則書我可是讀了好幾遍的。結束實習後,你才能坐到客人席上。




二流、一流になると時給は上がっていくのですが、接待を任される一流ホステスになると、信じられないほど高額な時給がもらえます。私が在籍していた時は、10年勤務しているお姉さんは時給5萬円以上だったそうです」


成了二流、一流的陪酒女後,時薪自然就漲上去了,不過如果能成為頂尖的陪酒女,那就能獲得令人無法置信的高額時薪。我在籍時,據說入行10年的姐姐時薪在5萬以上。」



初めての高級クラブは、見たことのないほど煌びやかな世界だったという。


第一次到高檔俱樂部,那是一個從未見過的璀璨華麗的世界。




「6~7桁のお會計は當たり前、100萬円の束を出してチップをばら撒くお客様も珍しくありません。お客様からは『ホステスが遠慮することは失禮』『ワガママは聞いてもらうべき、自分のお金を使うのは失禮』と教わりました。


「結賬時6、7位數見怪不怪,拿出100萬日元一疊的紙幣當小費撒的客人也並不少見。從客人處,我也學到了『陪酒女跟客人客氣是失禮的事情』、『就應該任性地提出要求,花自己的錢也是對客人的一種失禮』。」



一方で年功序列の世界や、給料システムに窮屈さを感じるようになったという。給料は指名本數や売り上げではなく、時給のみ。


另一方面,在這個論資排輩的世界裡,工資制度的確給人感覺很死板。工資並不是看指名數和銷量的,只給時薪。




その時給も勤務年數のみでしか上がらなかった。あくまで両親のために働きたかったと話す亜美さんは、20歳の時にラウンジへ移籍した。


而這種時薪只能靠工作年限來提升。始終是為了父母而工作的亞美,在20歲時轉職到了Lounge。




月の指名本數は300本、売り上げは300萬円以上でナンバー1に


月度指名數300次,銷量超過300萬日元,成為NO.1




「クラブで學んだことも含め、自分がどこまでできるのか挑戦したい気持ちもありました。クラブの経験があり時給は優遇されましたが、それがほかのキャストの気に障り、初日からいじめられたんです。陰口を叩かれたり、トイレに呼び出されて『生意気だ』と毆られました。腹は立ちましたが、やり返しません。1カ月後に私がそのキャストの売り上げを抜き、彼女が謝ることになると思ったからです」


「懷著挑戰的心情,帶著在俱樂部學到的東西,想看看自己到底能走到哪一步。雖然因為有俱樂部的經驗而在時薪上得到優待,但卻惹毛了其他人,第一天就被人欺負了。不僅在背後說我壞話,還被叫去廁所打了一頓,說我太囂張。雖然我很生氣,但並沒有還手。我只是想著,一個月後我的銷量要超過那個人,讓她跟我道歉。」




亜美さんは1カ月後、彼女の売り上げを見事に抜き、店のママが亜美さんの味方に付いた。そして、思惑通り、毆ったキャストは急に亜美さんに媚び出したという。「ママが厳しかったおかげで根性がついた」と亜美さんは話す。


亞美在一個月後,在銷量上完美超越了對方,店裡的媽媽桑都成了亞美的朋友。於是果不其然,打過亞美的人突然就對她諂媚起來。亞美說道,「全靠媽媽桑對我這麼嚴厲,我才鬥志滿滿。」




「ママは厳しい人でした。入店した頃から営業前の準備を任されてましたが、時々遅刻してたのがバレて、階段から蹴り落されたこともあります(笑)」


「媽媽真的是很嚴厲的人。剛開始讓我負責營業前的準備,結果被發現常常遲到,就從樓梯上把我踢下去呢(笑)」




その後、函館初の指名制キャバクラに移り、亜美さんはナンバー1になった。月の指名本數は300本、売り上げは300萬円以上。ナンバー1になった秘訣とは何だったのだろうか。


之後,亞美轉到函館首家指名制度的夜總會,並成為了頭牌。那月度指名數300次,銷量超過300萬日元的秘訣何在呢?




「クラブやラウンジは『店が抱えるお客様』でしたが、キャバクラは新規のお客様がメインなので、一から関係を築いていかなければなりません。


「俱樂部和Lounge都是靠老客人維持的,但夜總會是以新客人為主要客源的,必須從頭開始建立關係。




時間がかかる作業なので、営業時間外も無駄にしません。晝間、お客様と會社の社食をご一緒したり、差し入れのお弁當を作ったりしました。


這件事很花時間,除了營業時間外,也不能浪費。白天可以和客人在公司里一起吃飯,或者帶一份自己做的便當給他。




全國の求人を探し、時給5,000円の靜岡のキャバクラへ


在全國進行招聘,來到時薪5000日元的靜岡夜總會




その頃、実家の狀況は急変していた。


那時,亞美老家突然發生了變化。




「祖母が亡くなり、その醫療費で両親の借金は膨れ上がっていました。実家の荷物は差し押さえられ、當時の私のお給料だけではどうすることもできない狀況になっていたんです。姉もキャバクラで働いていたのですが、『もっと稼ぐにためは北海道を出るしかない』と、私と姉はほかの土地への出稼ぎを決めました」


「我奶奶去世,高額醫藥費使得父母的債務又添一層霜。老家的東西都被扣押了,當時僅靠我的工資完全不夠。姐姐雖然也在夜總會工作,但為了多賺錢,只能離開北海道了。我們姐妹倆決定外出打工。」




全國の求人を探し、亜美さんたちは時給5,000円の靜岡のキャバクラへ出向いた。札幌?ススキノや東京も考えたが、家賃や生活費を抑えることを優先したという。


當時正在全國招人,亞美她們決定去往時薪5000日元的靜岡夜總會。也考慮過札幌薄野和東京地區,但壓縮房租及生活費成了優先要考慮的事情。




姉と店の寮に入り、せんべい布団の部屋に寢泊まりしながら出勤した。入店1カ月でナンバー1になり、月給は7桁に上った。


我和姐姐住進店裡的宿舍,蓋著又硬又薄的被子睡覺,每天辛勤工作。一個月後,我成了頭牌,月薪達到了7位數。




「姉と合わせて月100萬円を実家に送り、差し押さえは免れました。ちょうどその頃、知り合いから『スナックを始めるからママをやらないか?』と誘われたのをきっかけに、経営側にまわることになったんです。


「我和姐姐合起來,每個月給老家送去100萬日元,終於免除了物品扣押。而恰好那時,有個朋友跟我說,『想開個小酒館,你要不要來做媽媽桑?』於是,我就開始轉做經營了。




數年前に一度閉店したその店はボロボロで、オーナーはオープン準備から経営まで私に丸投げしてきました。


那家多年前曾倒閉的店鋪十分破舊,老闆把開業準備到經營管理全都交給了我。




集客や宣伝に使える資金はないと言われた私は『廃墟のようなこのお店をどうしたら良いか』『売り上げが出なければ、自分のお給與も出ない』と考えたんです。


而且完全沒有招攬客人和宣傳可用的資金,我想著,「這廢墟一樣的店,該怎麼辦才好呢」「如果沒有盈利,我就不能給自己工資了。」




コンセプトと集客方法、回転率を固め、オープンから二週間で黒字化に成功し、表に立つことよりも経営(裏側の作業)の仕事に興味を持ち始めました」


當鞏固了店鋪概念和招攬客人的方法及周轉率,使得這家店開業兩周內成功黑字,比起站在人前,我對經營(背後的工作)開始產生興趣。」




しかし、亜美さんはほどなくしてママを辭めることとなる。


然而,亞美卻毅然辭去了媽媽桑的工作。




「いくら売り上げても、オーナーはすべて愛人に使ってしまったんです。金庫に入れている釣り銭用の小銭もすべて持っていってしまい、私は営業中に何度も両替に行くことになり、それが営業に支障を來すようになりました。


「無論賺了多少錢,老闆都花在了他的情人身上。放在保險柜里用來找錢的零錢,他都全部拿走了。我在營業時多次去換錢,都妨礙了做生意。




オーナーには、何度注意しても聞いてもらえませんでしたし、愛人もオーナーに貢いでほしいあまりに、店にわざわざ來て『今日何組くるの?』『どのくらい売り上げありそう?』など、大聲で話すようになったのです。


我多次提醒老闆,他卻充耳不聞。小三當然希望老闆能供養她,甚至特地跑來店裡大聲詢問「今天來多少人?」「能有多少收入?」等等。




お給料はそれなりにもらえていましたが、オーナーと愛人の態度に嫌気が差したのです」


雖然我的工資分文不少,但老闆和情人的態度實在讓我看不慣。」




「成り上がる人間」とは、逆境にくじけずに悔しさをバネにできる人


「白手起家的人」,是在逆境中百折不撓,也是不甘心的人




この時の経営の経験を生かしたいと思った亜美さんは、その後、現在のビジネスを立ち上げた。


想著把那時學到的經營經驗利用起來的亞美,之後便建立起現在的商業模式。




「黒字化するまでのアイデアや、女性に指導して効果があったことなどをブログにしたら反響があったので、それをきっかけに、獨學で経営の勉強をしました。実家に送りながらもわずかに殘っていた200萬円の貯金をすべて立ち上げに使いました。


「我把能經營店鋪盈利的創意、對女性有效的指導方法等記錄在博客上後,獲得了很大的反響,以此為契機,我自學了經營管理學。除去送回老家的錢,我僅用剩下的200萬日元存款打開了新事業的局面。




事業內容は主に店舗と個人キャスト向けのコンサルティングです。同時に、現役の頃に『店でお客様との會話に困ってしまう』というホステスの悩みをヒントに、トークスキルを指導してレベルを上げるチャットレディ?プロダクションを立ち上げました」


工作的主要內容,則是向店鋪及個人用戶提供諮詢服務。同時,當初「在店裡不太會和客人說話的」陪酒女的煩惱啟發了我,便建立起這家指導談話技巧、提升溝通水平的Chat Lady Production。」




現在の収入は現役の頃と同じくらいと話す亜美さんの「成り上がり人生」は続いていく。


亞美表示現在的收入和做陪酒女時差不多,「人生贏家」始終在線。




この世界で『成り上がる人間』とは、逆境にくじけずに悔しさをバネにできる人。高く目標を持ち、そこに努力して向かえる人。メンタルが弱くても、自分自身で立て直せる人だと思います。


這個世界上能發家致富的人,都是能在逆境中百折不撓、不甘心且向著遠大目標努力奮鬥的人。即使精神層面沒有那麼堅強,但也是自己能重新站起來的人。




關於「水商売」的小知識:




水商売(みずしょうばい)とは、先の見通しが立ちにくく、世間の人気や嗜好に大きく依存し、収入が不確定な業種や職業、およびそうしたものに従事する人を指す俗語である。


「水商売」是指難以展望前景,很大程度上依附於人們的喜好和口碑,收入不穩定的工種或是職業,也可以指代從事這一職業的人的俗語。




飲食業や花柳界、風俗業のような業種のほかに、相撲や歌舞伎、演劇などの興行ものや人気商売(芸能人、スポーツ選手など)、作家?クリエイターといった職業も含む言葉だが、現在では夜間営業で酒を出す飲食店(主にバーや接待クラブ)や風俗営業、ホスト?ホステス、風俗嬢などに限定して指すことが多い。


「水商売」除了指飲食業、藝妓、風俗業等工作之外,也抱括相撲、歌舞伎、戲劇等演出或是依靠人氣的藝人、體育選手、作家、從事創意行業等等職業,但現在專指夜間營業的會有酒販賣的飯店(主要是酒吧或是招待客人的俱樂部)或風俗店、牛郎、女招待、陪酒女等等行業。







水商売はなぜ水と付くのですか?


「水商売」和水有什麼關係?




1.川の水や、雨の水などの量などは常に安定しない。お客さんの人數や売り上げも安定しないので「水のような商売」と言う説。飲食店、風俗店は景気の良し悪し、天候、客の気まぐれなどによって収益が大きく左右されるものである。


1、有一種說法是如河流、雨水的量並不是固定不變一樣,接待客人的行業每天客人的數量和營業額也是不穩定的,是像流水一般的買賣,所以稱「水商売」。飯店、風俗店的收益很大程度上依附於社會經濟是否景氣、天氣和客人的心情。




2.江戸時代に湯茶を飲ませて往來の人を休息させた水茶屋が、いつのころからか女性を奧の座敷に置き、酒の酌などをさせるようになりました。やがてこれが本業となったため、女性が酒の相手をする商売のことを水茶屋から水商売というようになった説。


2、江戶時代供來往的人們飲用茶水和休息的「水茶屋」,不知從何時開始,會有女性在「水茶屋」裡面的房間為客人斟酒,不久,這就成為了主要的買賣。所以有一種說法是,「水商売」是從以女性陪酒為買賣的「水茶屋」演變而來的。




3.その昔、酒場の女性店主などが商売の神である蛇(巳)神を信仰していたので、それらの女性を「巳(みい)さん」と呼んだ。「みいさん商売」が水商売に変化したという説。


3、以前,酒館的女性店主信奉蛇神(巳神)為主宰買賣的神,這些女性被稱為「巳(みい)さん」。有一種說法是「水商売」是從「みいさん商売」演變而來的。




日語君有話說:「水商売」是日本獨特的文化。實際上,日本人對於「水商売」的界限定義也是很曖昧的,而且地區之間存在差異。




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